あれやこれやと好き勝手しているうち、ついにそういう時期がきてしまった。就活だ。
早ければ四月中旬に内定が出るものらしいが、頭も学歴も大したことないから期待はしていない。
面接などで声が聞き取りづらくなるのを懸念して、先日から音読で読書を進めているのだが中々よい。
黙読より頭に入る気がするのは、恐らく一字一句細やかに見ているからだろう。
あと、読めない文字があると「んぅあー」みたいに読むことになって気持ち悪いのでめっちゃ辞書引くようになる。
「侘び」について少し理解が不十分な気がしていたので、補足的に武野紹鴎の本を読んだ。
「わび茶」の流れとしては村田珠光⇒武野紹鴎⇒千利休ということらしいので、時代を遡って学んでいることになる。しかし以前に書道史を学び、始まりである甲骨から見ずんば(ズンバ!)様々な見落としが起こることを思い知っているので、このやり方は不味いかもな、とか。
いずれ村田珠光も齧るなり舐めるなりせねばなるまい。
原研哉さんの「白」という本を読み終え、今は石川九楊先生の「書」を読んでいる。
二人とも、「白」に関して全く同じ意見を語っていて驚いた。
京大の物理学名誉教授が、石川九楊先生の語る「白」に対して「真空と似ている」と語った逸話もあり、ああ、全てたどりつくところは同じなのだなとも。
就活の話だが、筆記用具を作る会社に興味を持ち始めて、就職出来る出来ないは別にしてひとまずエントリーをした。
石川先生の言う筆蝕を踏まえて、時代は、
「文字を刻する時代(ノミ)⇒文字を書く時代(筆)」から
「文字をなぞる(滑らせる?@適切なものが思いつかない)時代(硬筆)」へと変化しているように思う。
刻する時代から書く時代への変化については「書」で詳しく語られていてはじめて了解した。
また、明治期からの教育の変化によって書く時代が失われていく様は、拾い物だが(http://www.pp.iij4u.or.jp/~natsumi/j/article/article4.html)に分かりやすくまとめてある。
「書くことは考えること」というのはまさにその通りで、どこで見たのだったか忘れたけど、
「我々は書くとき、頭ではなく筆先でものを考えている」。
その筆先の機能を、現代の筆記用具に復活させてみたい、とかなんとか。
いわゆる「書き味」という概念があるが、「書きやすい」というのが「筆が滑りやすい」に変わったのはいつごろからのことだろう
私たち書をする者にすれば「書き味」は「筆触」「筆蝕」のことであり、「書きやすさ」とは、ある程度の抵抗を伴ったものに違いないので、違和感。
たぶん、習字を学ぶ子供の筆圧が高いのは、「書く」ということが抵抗を伴ったことであることを知っているからだ。
そんな感じで、今夜は色々が頭をぐるぐるしていて眠れず、ああああ朝を迎えてしまった。
あとで二条駅の本屋へ行って、ついでにいくつか必要なものをそろえようと思っている。
明日は勉強会で、先生と約束したから、臨書をあと七枚くらい仕上げないといけない。
でも半紙を切らしているから、購買が閉まっていたら、詰みである。
あーあー。
おはよう。
(追記)
今まで飽き症に任せてふらふらしていた当ブログですが、ついに落ち着くところを見つけました。
ただの日記ですが、主に僕の両親への「生きてます」報告用ブログとなります。
というのも、それ以前にその機能を持っていたブログにログインできなくなったためであります。PWが分からん。
まあ、書くことは今まで通り適当ですし、今日のように長ったらしいものもあれば短い日もありますでしょう。
また、コメントをいただけると、僕の両親的には「良かった!友達がいるのね!」という感じで、安心すると思いますので、よろしくコメントください。
あと誰でも良いのでラーメン食べに行きたくなったらとりあえず僕にメールください。
ラーメン食べに行きたいです
返信削除さすがにあれなので一ヶ月以内にメールします。
返信削除なんか急かすようになってしまったかもしれないですが,そのような意図はまったくないのでゆっくりどうぞ
返信削除はい。
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